Arisa Yokosu(First-Year Master's Course Student)

Profile & Research

「私」と「世界」の「境界」(boundary) がどのように生きられるのかについて、研究しています。



心理学をベースに、東洋思想、哲学(現象学)、精神病理学、文化人類学なども取り入れながら、学問横断的にあれこれ考えています。現在は、多義的な解釈ができる本テーマを掘り下げるうえで、「離人感と自他境界のあいまいさ」に着目した研究を進めています。



「境界」は見えずさわれず、それだけを取り出すことはできません。しかし、「間が悪い」「間が持たない」等の表現があるように、ときに(とりわけ身体的に)強烈な実感を与えるものです。



そもそも、我々が何かを「それ」と認識することと、「境界」を生きることは表裏一体の関係にあります。

たとえば、私が「私」と言うとき、「私」と「私ではないもの」を分かつ「境界」も、同時に成立しているはずですが、そこでの「境界」は、常に一定で、変わらない性質のものなのでしょうか。

しかし、考えてみれば、思考に没頭している時、小指の痛みに悶えている時、プールに浮かんでいる時、ボーっとしている時、人と対話に興じている時…等々、それぞれ「私」の適用領域は自在に変化しているはずです。よって「境界」はその都度一回きりの、オリジナルな経験であり、緩やかに変動している、「なまもの」なのかもしれません。



仏教では、固定的な「私」の実体を否定し、自己は関係性の中で生じる現象にすぎないと考えます。これは「空」の思想といわれ、悟りに繋がる仏教思想の中核を成すものです。

しかし、「境界のあいまいさ」が不適応的に体験されることには、統合失調症の自我機能障害に見られるような、重大な病理的問題も伴うといえます。したがって「境界」はさまざまな個人的、環境的要因を受けて、多面的に捉えられるものと考えられます。


「境界」は「私」と「世界」を単に区別するだけでなく、「私」と「世界」をともに成り立たせる根拠でもあります。それ自体決して語り得ないものだからこそ、気になってやまないテーマです。



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